なんか変な表現ですが。みなさんどおなのかな~?と思ってみたり。
歌詞・曲・アーティスト自身などなど・・・、あると思います。
自分は、歌声も楽器として曲全体をひとまとめにして聞いて綺麗なメロディがある曲やカッコいいと感じる曲が好きです。
なので歌詞はほとんど聴いてないですし、洋楽で何言ってるさっぱりわからなくても全然OKです。
ただ、日本語の場合は考えなくても意味が入りやすいので単純に比べると有利?気に入りやすいですけどね。
意外と思われるかも知れませんがクラシックも結構好きです。S.E.N.SとかもCDは持ってませんが小学生の頃から好きだったりします。
でも、歌つきにはかなわないですけどね。
逆にラップはちょっと苦手だったりします。音階のない打楽器だけの音楽みたいでなんとなく好きじゃないっす。
で、なんで歌がいいのかと。
声ってすごいと思うんですよね。すごい沢山の音色がでますから。「あ」と「い」とは違う音ですし、ありとあらゆる言語を考えるとものすごい音色があります。それが滑らかに変化しながら音程も変えながらつむぎだされるわけです。どんなにすばらしい楽器だってまねすることはできないと思いませんか?バイオリンにはバイオリンの音色しかでないですよね?(シンセとか電子楽器は例外ですよ・・・。)
(↑について科学的に間違ったこと言ってたらスミマセン・・・勝手にそう思っているだけです)
と、言うわけです。
歌があるほうが断然良いと思うけど、邦楽でも洋楽でもクラシックでも曲として一まとめに聞いて気に入れば何でもOKなんていう節操のない話でした・・・。
ただ、なんも考えずにボーーーーっと聞いてるだけって話もありますがね_| ̄|○
愛音
歌声が楽器。これは昔石野卓球に教えられた。
電気の意味の無い歌詞。これは
まぁ、おもしろけりゃいい。ってのもあるけど。
声は1楽器なんだから歌詞に意味は無くていい、と。
人によって音の捉え方?は違うので。
(太鼓一つにしても表現は人によって「どんどん」や「だんだん」やもっとあるかもしれない)
でもそれを解りやすい皆共通の音にするには歌声だ。歌詞だ。と。
歌詞を作れば表現は一つ。その歌詞を歌うだけだから。
なーんて昔言ってたな…その時思った。
石野卓球を好きでいようと…(´∇`)
あやね
ふむふむ。流石、卓球ですな。
>声は1楽器なんだから歌詞に意味は無くていい、と。
確かに納得できる部分ありますね。
電気の曲ってよく聞いたらなんかよーわからん面白い歌詞の曲が多いなって印象ですからねぇ。